唐辛子🌶キムチの歴史
2021/10/21
キムチって、美味しいですよね!
しかも、体も温めてくれるし、これからの寒い時期の食材としても最高です‼️
キムチの主役といえば、唐辛子です。
そもそも唐辛子は🌶、南米のチリ産なので、唐辛子ソースのことをチリソースといいます。
もともと唐辛子は、南米のチリ人が、すりつぶして下剤として使っていました。
それを、コロンブスが薬品としてスペインに持ち帰り、スペイン人によって日本にもたらされたのが、戦国時代の終わり頃で、日本でも、唐辛子は漢方薬と呼ばれていました。
ちなみに江戸時代初期まで、外来の薬品や薬草は、すべて「漢方」といわれていました。
そして、唐辛子は、薬品として秀吉の朝鮮出兵のときに朝鮮半島に伝わりました。
この頃の唐辛子は、下剤や寒さ対策の塗り薬ではなく食用ではなかったのです。
ちなみに、朝鮮半島で唐辛子を用いた料理が登場するのは、江戸時代後期にあたる1809年の「閨閤叢書」にあります。
これには漬け物に、千切りにした唐辛子を少量入れることが書かれています。
キムチの近いものとして書かれているのが、「林園十六志」で、これは1827年の書です。
江戸の町の両国に薬研掘(やげんぼり)というところがありました。
その薬研掘界隈には、薬屋さんや薬品問屋さんが集まり、漢方医たちもここにたくさん開業しました。
1625年、徳川家光が三代将軍になったばかりくらいの頃、江戸の両国薬研掘に、中島とくえもんという人が薬種商の「やげん堀」を開業しました。
そこで、とくえもんさんは、江戸で流行している蕎麦の薬味に、唐辛子が使えないものかと考えたのです。
唐辛子をすり潰しただけでは、ただ辛いばかりなので、そこで唐辛子に、麻の実、青しそ、山椒、黒ゴマ、白ゴマ、みかんの皮を入れて、一緒にすり潰したももを開発しました。
開業の翌年に、「七味唐辛子、やげん堀」として売り出したものが、大ヒット!
風邪の妙薬で元気が出て、しかも蕎麦汁に入れると美味しい!!
とくえもんさんのお店は大繁盛し、徳川家光の菊の宴に献上したら、これが家光がとても気に入られて、なんと徳川家の「德」の一字まで賜って、中島德右衛門と名前もあらためました。
このお店は、いまでも七味唐辛子本舗として、代々続いていています。
こうして、江戸で流行して日本全国に波及して、蕎麦やうどんに、唐辛子を入れておいしくいただくという習慣がはじまっていきました。
ただし、その唐辛子は一味ではなく、七味です。
唐辛子は、日本で、七味になることで、一般の食用に供されるようになったということです。
そして1811年江戸中期、第11代将軍家斉の時代、将軍就任の祝賀のために、第12回朝鮮通信使が、朝鮮半島から対馬を経由して、福岡に上陸し、そこから半年がかりで、江戸までやってきました。
その時のお土産となったのが、当時、大流行していた七味唐辛子と、唐辛子の実です。
それを持ち帰り、李氏朝鮮王朝の貴族の高級食品として、唐辛子が大流行していきました。
しかし、この時代では、あくまで唐辛子は貴族の宮廷料理としてだけのものでした。
その後、時代を経て、朝鮮では、甕の中に唐辛子をどっさりと入れて発酵させる漬け物が、おいしいキムチになったわけです。
もうひとつ、キムチに使われる白菜ですが、
名古屋の野崎徳四郎が大正時代の初め頃に栽培に成功したことがきっかけで、一般栽培されるようになりました。
こうして、白菜の普及が加わり、キムチが「朝鮮名物」として、いまのカタチとなりました。
だから、家庭によって色々な味が楽しむことができるのですね!
こうやってみると、食には長い時間をかけて意味があるのだと思います。
そして、日本人の食や健康に対する意識の高さには、驚くばかりです。
キムチの歴史を長々と書きましたが、長い時間をかけて美味しくいただけるキムチに感謝して、いただきたいと思います!
Soo-Happyでは、
心のこもった商品は、思いや祈りが込められて、手に取っていただく方々に幸せをもたらすものと信じております。
皆さまが、毎日、笑顔で過ごせますように❣️
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