和菓子のはなし

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和菓子のはなし

2021/11/07

和菓子って聞いてどのように感じますか?

 

ただ美味しいだけでなく、

茶室で美的鑑賞のお菓を想像する方も多いと思います。

 

和菓子は、日本の伝統的製造法で作られたお菓子で、明治時代以降に新しく日本に入ってきた「洋菓子」に対して、呼ばれるようになりました。

 

 

さてこの和菓子、実はとんでもなく歴史の古いものなのです。

 

紀元前10000年以上前の、縄文時代にさかのぼります。

 

縄文人は、焼く、煮る、蒸す、干す、茹でる、そして燻製、塩漬けなど、なんでもありのグルメな人々が、「食の国ニッポン」の起源は、縄文時代にあるといっても過言ではありません。

 

どんぐりなどのアクの強い木の実を、砕き水にさらして団子状にまるめて熱を加えます。

それを、「縄文クッキー」として、

狩猟や旅に持っていくための携行食としていました。

 

 

紀元前1000~紀元前600年頃になると、

お米が作られるようになり、その米を発芽させて、でんぷんを採取し、糖(水飴)に変えて甘味料として用いるようになりました。

 

 

そして時が経つこと、2680年以上前、日本書紀には、この水飴を、初代天皇の神武天皇が、戦勝を祈願して神様に奉納したという記録があります。

 

お菓子の神様といえば、田道間守(たじまもり)です。

田道間守は、代11代、垂仁天皇の時代(紀元前70年頃)の時代の人で、

垂仁天皇の病を治すために、不老不死の菓子を求めて「常世の国(とこよのくに)」まで旅立ちました。

 

ちなみに、常世の国というのは、いまでいうブータンやチベットのあたりの国だと言われています。

 

このとき、田道間守が持ち帰ったお菓子というのが「橘(たちばな)の木」で、

これが長い歴史の中で品種改良されて「みかん」🍊となり、現在でも愛されている果物ですよね!

 

近年では、この「みかん」の品種の改良がものすごく進んでいて、格段に美味しくなっていますがもともとは和菓子のひとつであっということです。

 

さて、田道間守(たじまもり)から、時代が進んで奈良時代になると、

734年の「淡路国正税帳(正倉院所蔵)」に、お餅のお菓子(大豆餅、小豆餅など)や、せんべい、あんこ餅などが紹介されています。

平安時代のかの有名な源氏物語には、椿餅(つばきもち)なんてのも出て来ます。

 

鎌倉時代になると、臨済宗の開祖の栄西禅師が、唐から茶を持ち帰り、

「茶の湯」となって全国に広まり、渋い茶の湯と甘いお菓子が大流行しました。

芋ようかんもこの時代に誕生しています。

 

そうして江戸時代、庶民のお菓子として大ブレイクして発展したのが、現在でもお馴染みの京都の「京菓子」と、江戸の「上菓子」はなど、さまざまな種類の和菓子が、競い合うように発展していきました。

 

お菓子は、お茶🍵と楽しんだり食べたりするだけでなく、季節感を漂わせた日本の職人芸でもあり、日本独特の繊細な伝統文化そのものなのですね!

 

渋いお茶と和菓子を、おひとついかがでしょうか?

 

 

Soo-Happyでは、

心のこもった商品は、思いや祈りが込められて、手に取っていただく方々に幸せをもたらすものと信じております。

皆さまが、毎日、笑顔で過ごせますように❣️

 

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